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宮本常一: 庶民の発見 - 宮本常一著作集21

これは面白い本だったー。静かで力強い一冊。
日本中を旅して民俗学研究に没頭した著者による、「庶民」のナマの生活を丹念に追っていった書。

村での「ヨメ」のあり方や、貧しき人々がどのような小遣いを持っていたかということから、農村でのオシラさま信仰などなど、語られるのはひたすら庶民の暮らし。しかしそれを単なるエッセイ的なものではなく、学術的な地位にまで高めている著者の筆力の前では、ひたすら「うおー」と唸りながら読むしかない。
生々しい庶民の生き様が綴られ、私にしては珍しくメモを作りながら読んだ(この記事の後ろにくっついているもの)。

既に著者は亡くなられているそうで、とても残念だ。私は元本の、1976年発行の未来社ので読んだ。

今は、講談社学術文庫で出ているらしい。


目次
一 庶民のねがい
二 貧しき人びと
三 変わりゆく村
四 山村に生きる
五 村里の教育
六 民話と伝承者
七 底辺の神々
八 私のふるさと

二章
-出稼ぎとは生活領域と生産領域のズレ。

三章
-境界争いの話。なぜ田んぼのアゼは曲がりくねるのかと言うと、ずるい人がちょこっと自分の田んぼを広げるのを繰り返すことによりああなる。
-境界に木を植えたりすることも多かった、しかしその木自体がどちらのものか? などやはり境界はおぼろげなことが多かった
-ことわざ・警句の効果的な使い方。村の長老と言われる人は警句がうまい。
「せきなさんな、せきなさんな、せえた清兵衛が三年まえに死んだげな」と伝馬船の船長が行った途端に皆おとなしくなった。

四章
-狩人(マタギ)も木地屋も、一定のところに居住することはすくなく山から山へわたりあるいた。山中で木の下やくさむらにある墓はそうした山の漂泊者のもの。
-山中の村では蓑や箕や竹かごをつくり里へ売りに行く。買う方は同情が強かった。期待した相手が買ってくれないと失望が強く、そのうらみで付火したという話も山中でよく聞く。
-二、三男に分家させずに下男同様に家の仕事をさせる(叔父ろく)

五章
-日本の村では飢饉や天災にそなえて大きな家が必要。一家の人員が四人以下になるとみるみるうちに絶家している。
-村がいくつか連合する例も多い。ただし自分の村の家を増やすには耕地が足りない。沖縄県与那国島の「人桝田」、田に入れない人は殺される
-一人前とは、まず一人前の労働量。田荒起し六畝、米つき二俵、田植代二反など。社会生活にみる一人前、若者組など。
-農民たちが文字を習いはじめたのは文化安政期(19世紀前半)。田畑の売買、商店との売買などに文字がどうしても必要になってきた。この時期に寺子屋も増えた。

六章
-昔話を読んでいると、農民が求めたもの・理想としたものがなんであったかがよく分かる。愚直だが誠実で、決して権力に屈しない。
-一般に文字のない社会で言葉によっていろいろの事象や思想を世間一般または後世につたえようとする場合には、記憶するための鍵が必要になる。それはる一つのものを見ることによって思い出せるもの、伝説のようなものがこれである。伝説は多く「もの」についているから、木・石・岩・水・塚・穴・坂・峠・谷・屋敷・城址・祠堂などによって分類できる。(日本伝説名彙の分類)

七章
-民間伝承:もとの趣意が忘れられ、行為だけが伝承せられる。そしてその行為の説明に、過去のおぼろげな記憶に新しい解釈がついてもっともらしくなってくる。
-オシラさま:長さ一尺たらずの棒切のさきに人間の顔・馬・にわとりなどを彫刻し、この棒に布を着せてある。二体一組。毎年一枚、布を着せる。もとは巫女が神をおろす依代として使われ、後に一般の民家でも祀られる。オシラさまが捨てられるなどする場合は他家の屋根や神社の森の枝にかけておく、すると見つけたものはオシラさまが飛んできなさったと言って持ち帰る。
-(オシラさまの彫刻について)、アイヌ人のもつイナウなどと大変近い。アイヌ人のさらに北に住む、オロッコ・ギリヤークたちはシェワという神を持っているが、これは二体一組になっており、動物をかたどっている。オシラ神と近親性がある。

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